台東区文化ガイドブック
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掲載:2016年1月21日

還暦(60年)を迎えて赤色に塗られた日本最古のローラーコースターが浅草の町を走っています。

浅草の町を一望できるBeeタワーは、人気のアトラクションです。

浅草花やしきは、江戸時代から浅草寺の参拝客等で賑わった奥山にあります。江戸時代、奥山には大道芸人が集い、また芝居小屋等が多くありました。嘉永6年(1853)の設立時は、牡丹や菊花等を展示する花園「花屋敷」でした。開園当時は、8000平方メートルに及ぶ広大な植物園でした。後の明治6年(1873)、浅草寺は太政官布告により浅草公園と改められ、さらに明治17年(1884)には7区に区画されました。浅草寺の寺領が浅草公園に改められると共に、花屋敷は五区となり、動物も展示し、また遊戯施設も併設する日本の動物園のルーツの地となりました。そして遊園地へとその形を変えていきました。明治20年(1887)には木造瓦葺きの五階建ての奥山閣(鳳凰閣)が建造され、屋上には木製金箔の鳳凰が置かれていたため、鳳凰閣とも呼ばれました。浅草のランドマークであった凌雲閣(浅草十二階)と共に、浅草の人気のスポットのひとつとなりました。
大正から昭和初期には、花屋敷は国内有数の動物園となりましたが、大正12年(1923)の関東大震災時に被災し、飼育されていた動物の多くが薬殺されました。また第二次世界大戦が近づくと共に動物園は閉園しました。昭和14年(1939)には買収され、名称も「浅草楽天地」と改められましたが、昭和16年(1941)には松竹に買収されて合資会社浅草花屋敷となり「劇場楽天地」として経営されました。戦時下に閉園し荒れ果てていた花屋敷は、第二次世界大戦後の昭和22年(1947)に新たに遊園地「浅草花やしき」として再開されました。昭和28年(1953)には日本に現存する最古のローラーコースター、そして昭和35年(1960)に浅草の町を一望する人工衛星塔(現在のBeeタワー)が設置され、現在も現役として人気を博しています。

浅草寺の歴史については「浅草寺に詣でる─浅草寺に聞く」をご覧下さい。


かつての花屋敷入口、右手奥に奥山閣、左手奥に凌雲閣が見えます。(明治中期頃、台東区立下町風俗資料館所蔵)
当時の花屋敷は、上流社会の交流の場としても利用される施設でした。写真からもモダニズムとしての交流の場であった事が、偲ばれます。[写真をクリックし、詳細を見ることができます。]


昭和初期頃の案内図(株式会社花やしき所蔵)[写真をクリックし、詳細を見ることができます。]



花園として設立された花屋敷の面影を残す園内中央のしあわせ橋[写真をクリックし、詳細を見ることができます。]



[写真をクリックし、詳細を見ることができます。]



園内には、関東大震災時に花やしきに罹災者が多く集まったため、やむなく薬殺された動物を供養した鳥獣供養碑が建立されています。[写真をクリックし、詳細を見ることができます。]




浅草花やしきは、演芸、芸能の中心地浅草に、嘉永6年(1853)に開園した日本最古の遊園地です。造園師森田六三郎によって、牡丹や菊細工を展示した植物園「花屋敷」として開園されました。浅草寺裏手の奥山に位置する花屋敷は、江戸時代から浅草寺参拝客等で賑わいました。明治時代には浅草寺の敷地は浅草公園として整備され、花屋敷もその規模が縮小されました。大正から昭和初期には、花々と共に動物も展示され、日本の動物園のルーツの地ともなっています。現在は「浅草花やしき」と改称され、日本に現存する最古の還暦(60年)を迎えたローラーコースターや浅草の町を一望できるBeeタワー等の人気のアトラクションで賑わっています。(台東区浅草2-28-1)


浅草花やしきのホームページへ




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