台東区文化ガイドブック
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浅草演芸ホールに聴く

掲載:2015年8月1日

浅草演芸ホール


浅草演芸ホール


浅草フランス座の開館風景(昭和26年(1951)、東洋興業株式会社提供)


浅草演芸ホールは、明治40年(1907)に浅草六区に開業した活動写真館(現在の映画館)の三友館に始まっています。三友館は、大正期には当時ブームとなった浅草オペラを公演する主立ったホールのひとつとして賑わいましたが、第二次世界大戦後の昭和26年(1951)に閉館し、新たに「浅草フランス座」として開館し、永らく親しまれてきました。後の昭和39年(1964)には、浅草フランス座を増築し、4階、5階に浅草演芸ホールが新設され、当時浅草には落語の寄席がなかったため、落語定席として開業されました。当時の浅草演芸ホールでは、往年の桂文楽、古今亭志ん生、三遊亭円生等の高名な噺家と共に、後の落語界を担う古今亭志ん朝、立川談志、三遊亭円楽等も、ここで腕を磨いていました。東洋館、そして浅草演芸ホールは、日本を代表する数多くの芸人を輩出し、日本の芸能の拠点として、現在に続いています。昭和46年(1971)の東洋劇場の閉館に伴い、浅草演芸ホールは1階に移され、落語中心の寄席として沢山のお客様に親しまれています。平成12年(2000)の元旦に浅草フランス座を改装しオープンした浅草東洋館は、漫才、漫談、コント、マジック等、落語以外の演芸場として、連日多くの、いわゆる通いの常連客に加えて、若いファン、そして海外の旅行者で賑わっています。


渥美清氏と三島慶子氏(昭和20年代(1950代)、東洋興業株式会社提供)
渥美清は、幼少時から徳川夢声の漫談や落語に親しみ、後に旅回りの演劇を経てフランス座に入り、長門勇や関敬六、東八郎等とコメディアンとして名声を馳せました。テレビでの人気を得た後に映画にも進出し、「男はつらいよ」シリーズでフーテンの寅役を27年間務めました。


北野武氏(中央)と現浅草演芸ホール会長の松倉さん(左)等スタッフ(東洋興業株式会社提供)
北野武(ビートたけし)は、大学中退後、新宿のジャズ喫茶でのボーイ等を経て、浅草フランス座の芸人見習いとしてエレベーターボーイを務めていました。芸人を志した事から実家を出て、しばらく浅草フランス座の屋根裏部屋に住み込み、前座芸人として腕を磨きました。後に、アドリブを駆使した漫才で人気を博したツービートの萌芽は、ここで育まれました。




浅草演芸ホールは、演芸、芸能の中心地浅草六区において、明治、大正、昭和、そして平成とその歴史と共に日本の演芸を担っています。現在では、落語中心の演芸ホール、そして漫才、漫談、コント、マジック等の落語以外の演芸を中心とした東洋館(浅草演芸ホール4階)として、賑わっています。(台東区浅草1-43-12)



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