台東区文化ガイドブック 文化探訪
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掲載 : 2019年9月9日

上野東照宮は、今も江戸時代の創建当時の姿を留めています。

上野東照宮社殿(国指定重要文化財)
社殿は、日光東照宮(栃木県)や久能山東照宮(静岡県)と同じ権現造です。当時の神社は神が祀られた本殿と拝殿(はいでん)は別棟となっていましたが、上野東照宮は本殿と拝殿の間を少し低くした弊殿(へいでん)で繋いだ三部屋構造の一棟となっています。



 徳川家康・秀忠・家光の三代の将軍の帰依を受けた天海僧正と藤堂高虎は、元和2年(1616)に危篤の徳川家康の枕元に呼ばれ、三人一つ処(ひとつところ)に末永く魂鎮まるところを造って欲しいと遺言されました。天海僧正は、藤堂高虎らの屋敷地であった現在の上野公園の地を拝領し、東叡山寛永寺を開山し、境内に数多くの伽藍や子院を建立しました。寛永4年(1627)に、そのひとつとして東照宮の前身となる「東照社」が創建されました。その後、東照社は、正保3年(1646)に朝廷より正式に宮号を授けられ「東照宮」となりました。現存する社殿は、慶安4年(1651)に三代将軍徳川家光が造営替えをしたもので、日光に元和3年(1617)に建立された東照宮を参拝できない江戸の人々のために日光東照宮に準じた豪奢な社殿としたとの事です。上野の山を戦場として旧幕府軍と新政府軍が争った、慶應4年(1868)の戊辰戦争の一つである上野戦争では、寛永寺を初めとして多くの伽藍や子院が焼失しましたが、上野東照宮までは火の手が及ばず、また大正4年(1923)に起こった関東大震災、その後の戦災でも倒壊を免れて、今日まで当時の姿を留めています。

唐門脇には、慶安4年(1651)に尾張、紀伊、水戸の德川御三家より奉納された、いわゆる御三家灯籠があります。唐門側から、紀伊家の德川頼宣(家康の十男)、水戸家の德川頼房(家康の十一男)、尾張家の德川光義(家康の九男義直の子)の御三家の順に置かれています。銅製の灯籠の傘に付けられた龍のような飾りは想像上の動物「蜃(しん)」で、口から気を吐き、蜃気楼を作ると言われています。火袋には、天女の姿が彫られています。

境内には、奉納された250基余の灯籠が配されています。


唐門
正式名称は「唐破風造り四脚門」と呼ばれ、国指定重要文化財になっています。両脇には、江戸時代初期の彫刻師左甚五郎作の昇り龍、降り龍が配されています。上部には、透彫(すかしぼり)の錦鶏鳥、銀鶏鳥が配され、門の内側には、中国の故事に由来する諫鼓鳥(かんこどり)に因んだ彫刻が施されています。









上野東照宮
上野東照宮は、寛永4年(1627)に創建された徳川家康公(東照大権現)を神として祀る神社です。社殿等は戦争や地震にも崩壊を免れ、江戸初期のきらびやかな建築を残しています。上野東照宮は、国の重要文化財に指定され、国内外からも多くの参拝客が訪れています。(台東区上野公園9-88)























お化け灯籠
常陸北条藩主、信濃長沼藩主であった佐久間勝之が奉納した石灯籠は、その巨大さから「お化け灯籠」と呼ばれています。全長6.06mもあり、上野東照宮の入口となる鳥居の脇に置かれ、日本三大灯籠のひとつになっています。