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掲載:2011年12月12日 |
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上野動物園西園のワオキツネザル |
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上野動物園の敷地には、江戸時代には伊勢津藩主藤堂家、弘前藩主津軽家、越後村上藩主堀家の三大名の屋敷がありました。上野の呼称は、藤堂家の所領であった伊勢にある伊賀上野に由来するとも言われていますが、一方徳川家康による江戸開府前から上野の地名はあったとも言われます。藤堂和泉守高虎は、徳川家康による江戸開府の際にこの地を拝領して中屋敷としましたが、寛永元年(1624)、天海僧正により東叡山寛永寺が建立される事になった際、この地を直ちに幕府に返上し、さらに上野山内に東照宮を建立して献上し、その別当寺として寒松院を建てて寛永寺の宿坊として寄進したと言われます。 |
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閑々亭 |
家光の腰掛け石 |
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| 寛永寺五重塔 園内に建つ寛永寺の五重塔は、寛永8年(1631)に佐倉藩主土井利勝の寄進により建立されました。その後の寛永16年(1639)に焼失し、再建されました。高さ33m、一層には薬師、阿弥陀、弥勒、釈迦の四尊が安置されています。昭和33年(1958)に東京都に寄贈されました。(国指定重要文化財) |
閑々橋 |
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「動物園」の名称は、慶応2年(1866)に発刊された福沢諭吉著『西洋事情』において初めて使われました。慶応3年(1867)のパリ万国博覧会に派遣された日本代表団の一員でもあった物産学者田中芳男は、パリの国立自然史博物館付属のジャルダン・デ・プラントを初めとする施設を見学し、日本にもこのような施設が必要であると認識しました。ジャルダン・デ・プラントはその名の通り、植物園であり、付属の「メナジュリー」と呼ばれる動物飼育場は動物園に相当する施設でした。 |
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明治10年(1877)、上野公園で第一回内国勧業博覧会が開催されました。その跡地に内山下町にあった博物館は移転し、隣接した寒松院ヶ原に付属の動物園が設けられ、明治15年(1882)に博物館と共に開園しました。内山下町の跡地には鹿鳴館が建設され、明治16年(1882)に開館しています。当時の動物園の正門は、閑々亭の坂を下った付近、現在インドライオンを公開している「トラの森」の前あたりにありました。敷地は、ツル舎、事務所、バードハウスで囲まれた現在の東園の区域で、現在の14.3ヘクタールの10分の1程度であったようです。 |
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